施設に宿る物語
弘法大師の温泉発見から400年。藩に指定された“駅路寺”の歴史を受け継ぐ
徳島県板野郡にある四国八十八ヶ所霊場の第六番札所「安楽寺」。その歴史は平安時代、四国をご修行中であった弘法大師(空海)が、この地に湧き出る温泉を発見したことから始まります。その湯が万病に効く霊泉であったことから、大師は病から人々を救う「薬師如来」を本尊としてお祀りし、「温泉山(おんせんざん)」という全国的にも珍しい山号が付けられました。
安土桃山時代に入ると、徳島藩祖・蜂須賀家政公によって、安楽寺はお遍路さんや旅人を保護するための宿泊施設「駅路寺(えきろじ)」に定められます。当時はまだきちんとした宿泊施設が少なく、地域の治安維持の拠点としての役割も担っていました。
以来400年以上にわたり、安楽寺の宿坊は、長い巡礼の旅に出る人々を温かく迎え入れ、食事を提供し、温泉で疲れを癒やす「お遍路で一番最初の宿坊」として親しまれ続けています。時代が移り変わり、訪れる人々の目的が多様化しても、旅人を癒やし、大師の教えを伝えるその根幹の精神は、歴代の住職たちによって脈々と受け継がれています。
お遍路とは決して縛られるものではなく、自由なものです。道端の雑草でさえ、見る人が見れば人を救う薬となる。そんなお大師様の教えを、宿坊での体験を通じてご自身の心で感じていただきたいのです。
住職の想いと哲学
私は高野山の大学を卒業してから僧侶となり、20年以上が経ちました。当寺は代々、高野山の「本山布教師」の資格を有しており、宿坊にお泊まりいただいたお遍路さんにお大師様の教えを伝えることを使命としてきました。お寺をただ巡ってスタンプラリーのように終わるのではなく、教えに触れていただく貴重な機会にしていただきたいのです。しかし、時代は移り変わります。400年以上続く宿坊の歴史や歴代住職の想いを守り、良い伝統を未来へ残すためには、新しいことにも挑戦し続けなければなりません。多言語対応のQRコードの導入やSNSでの発信、そして皆様からご好評をいただいている「体験型のお勤め」もその挑戦の一つです。
お遍路の目的も、昔は先祖供養や祈願が中心でしたが、今は国内外を問わず「自分探しの旅」として歩かれる方が非常に増えていると感じます。実はお遍路は、「一番札所から順番に回らなければならない」という決まりはなく、どこから始めても良い、非常に自由なものなのです。四国を一周すること自体が、悟りの境地を表しています。1,200キロという途方もない距離を歩く非日常的な行為は、普段考えない深い思索を促し、自分自身と向き合う時間を与えてくれます。それは、大切な人を亡くした悲しみと向き合い、時間をかけて少しずつ受け入れていく四十九日の法要のプロセスにも似ているのかもしれません。
お大師様の教えに、「医王の目には道に触れてみな薬なり」という言葉があります。優れたお医者様から見れば、道端の雑草でさえも人を救う貴重な薬になる。つまり、容易に踏みにじってよいものは一つもなく、人の可能性もまた同じように尊いということです。そして仏教には、欲望にも禁欲にも偏らない「中道(ちゅうどう)」という教えがあります。「ほどほど」「適度」であることは本当に難しく、様々な経験を積まなければ真ん中の道は分かりません。現代の複雑なAI社会などで生き方に迷ったとき、自らの足で四国を歩き、仏教の教えや人々の温かさに直接触れる実体験が、皆様の人生の新たな扉を開くヒントになればと願っています。
仏教美術と非日常を全身で味わう、他に類を見ない“体験型”の宿坊
五感で仏教の世界に入り込む「夜のお勤め」
安楽寺の宿坊での滞在は、単なる宿泊の枠を超えた「非日常の体験」です。夕食後に行われる夜のお勤めでは、本堂でのお経の後、参加者全員で本堂の奥殿へと進み、灯籠流しを体験していただきます。楠の枝に先祖の戒名を書いた紙を結び、護摩木に願い事を書いて火に納める。この一連の流れは、さながら心静まるアトラクションのように、参加者を深い精神世界へと誘います。
本堂奥 灌頂窟
間近で触れる圧倒的な仏教美術の数々
館内や境内は、圧倒的な仏教美術の宝庫でもあります。日本を代表する大仏師・松本明慶氏の手による躍動感あふれる仁王像や、間近で拝観できる60体以上の木彫りや石彫りの仏像群は、見る者の心を惹きつけます。さらに、お大師様(空海)が20代で書かれた直筆の書のレプリカや、「人の短を言うことなかれ、己の長をとることなかれ」という座右の銘、徳島藩主・蜂須賀家ゆかりの歴史的な位牌など、滞在するからこそじっくりと味わえる文化財が数多く点在しています。
現代日本の仏師 松本明慶氏による彫像
1200年前から湧き出る「弘法の湯」
お遍路の初日に宿泊する方が多い当館だからこそ、これからの長い道のりに向けて心身を整えていただけるよう、大浴場には弘法大師様が発見されたと伝わる霊泉「弘法の湯」を引いています。神経痛や筋肉痛に効果があるとされるこのお湯で、道中の疲れを芯から癒やし、明日への活力を養っていただきたいと考えています。
巡礼者との心温まるエピソード
- 国境を越える「自分探し」の旅と共感
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ある時、海外から来られた外国人巡礼者とお話をした際、「定年退職をして、これから自分はどうしていこうかと考えながら四国を歩いている」と語ってくださいました。言葉や文化は違えど、人生の節目に立ち止まり、歩きながら自分を見つめ直そうとする「自分探し」の想いは世界共通なのだと深く驚かされると同時に、四国遍路の持つ普遍的な価値を再確認する瞬間でした。
- 先祖を想い、灯籠流しで流す涙
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夜の体験型のお勤めでは、楠の枝に先祖の戒名や亡くなった方の名前を書いた紙を結び、魂が宿るとされる常緑樹の信仰に基づく体験を行っています。台湾をはじめとする海外の方々にご参加いただいた際、「亡くなったお父さんやお母さんのことを想いながら拝んでください」とお伝えしたところ、言葉の壁を越えて深く感動され、涙を流される方が多くいらっしゃいました。大切な人を想う心に国境はないのだと、私たちも胸を打たれました。
宿のご紹介
四国八十八ヶ所霊場 一番最初の宿坊
万病に効果のある霊泉が湧き出ていたことから弘法大師様が名付けた「温泉山
安楽寺」。400年前からお遍路さんに親しまれてきた宿坊には、お遍路さんはもちろん、観光や出張、キャンピングカーでの車中泊など、現代の多様なニーズに応えるさまざまな滞在プランが用意されています。歴史ある非日常の空間で、仏教の教えと癒やしを体験してください。
温泉山 安楽寺